言語が混ざること

タイトルの『日本語に英語が混ざること』ですが、3年ほど前にも書いたのですが、

 

今日は子どもが日英を混ぜて話すとき、どう対応したらいいのかについて、個人的に思うことを書きたいと思います。

 

 

日本語と英語が混ざる

「ルー語」として表現されている方も多いですが、日本語と英語が混ざる状態は、日英 両言語あるいはどちらかの言語が流暢になってきた子どもによく見られる気がします。

 

例を出すと、

 

咄嗟にどちらかの単語が出てこなくて、

 

「 Shoesをonできない」

 

といったように、どちらかの言語が土台になっていて、そこにもう片方の言語が混ざっているイメージ。

 

私自身、上の記事でも書いているように、言語が混ざることに対してはどちらかというと肯定的に捉えています。子どもの年齢が低ければ、それは言語の成長過程だと思っています。

 

そして特定のコミュニティ内で、意識的に言語を混ぜるといった事例も少なくないことを考えると、単なるコードスイッチングとして片付けられないと思うからです(Canagarajah, 2011)。

 

例えば、インターナショナルスクール出身の友人たちの会話でよく見られた例でお話すると、

 

友人がわたしと話すときは英語が混ざることはほぼありませんでした。でもその友人がインター出身の人と話すときは、英語と日本語がごちゃ混ぜ状態。

 

属するコミュニティによって単一言語だけを使用するか、頻繁に言語を混ぜるか、というように言語使用を使い分けていたのでしょうね。

 

それでも、言語を混ぜることを肯定的に捉えていると言っているものの、やはり、バイリンガル育児をする親としては、TPOを考えて娘が大人になって言語を使い分けられて、バイカルチュラルとして育ったらいいなぁと思う気持ちもあります。

 

過去の記事で書いたように、中にはTPOで言語使い分けられるけれど、相手によって言語を混ざるというケースもあると思います。

 

それは言語の使い分けができた上で言語を混ぜているという意味で、その人にとってのコミュニケーションの形の一つと捉えることができます。

 

言葉の配慮

でも そうではなく、言語の使い分けがうまく出来ず、英語を話さない相手に対していつまでも一方通行なコミュニケーションを取っているようであれば、周りのサポートは必要になってくるのではないかなと思っています。

 

バイリンガル育児をする上で、単に英語を話すだけでなく、言語に対する配慮もできるようにもなって欲しかったので、娘に対して意識してきたことは

 

丸レッド 日本語を話しているときに英語が混ざったら、日本語の表現を提示する

丸レッド 日本語話者しかいないときは日本語を話すように促す

丸ブルー 英語を話しているときに日本語が混ざったら、英語の表現を提示する

丸ブルー 英語話者しかいないときは英語を話すように促す

ダイヤグリーン 両言語の話者がいるときは、話す相手によって言語を使い分けるように促す

 

もちろん、発話を止めて言葉を直すことで娘との会話を中断したくないので、娘が「直された」とあまり気が付かないようにさりげなく言い換えていました。

 

英語を話せるようになるのは素晴らしいこと。

 

でも、日本という環境で、日本語で会話している時に、相手が英語を話さないのに構わず英語を織り交ぜて話して、相手に「何て言ったんだろう?」と思わせたり、

 

英語だけで会話して相手に疎外感を与えてしまうということにはなって欲しくないなと思います(逆のケースもありますよね。英語しか話さない相手がいるのに日本語だけで会話して疎外感を与えてしまうなど)

 

そういう意味でも、子どもの無意識の状態での言葉がごちゃ混ぜの状態を、言語の成長過程肯定的に捉えつつも、そのままにしておくのではなく、

 

本人が将来、自然に言語の使い分けができるようになり、人・場所・シチュエーションに合わせて言葉の選択ができるように、促すことも時には必要なのではないかなと感じます。

 

参考文献

・Canagarajah, S. (2011). Translanguaging in the classroom: Emerging issues for research and pedagogy. Applied Linguistics Review, 31, 1–27.