特別 と 差別

4歳2ヶ月。

ジュキさんの記事『美化や憧れさえ差別なの?』を読み、

バイリンガル育児の原点に立ち返り、いろいろと考えさせられました。

異文化や異人種に対して 美化したり特別視することが、時に相手を「他者」と見なし 、不快感を与えてしまうこともあるということ。

故意でなくても 相手が不快と感じたら、それは差別になり得るということ。

わたし自身、アメリカに住んでいたときに「(ひとくくりに)アジア人」もしくは「日本人女性」として特別扱いされ、「疎外感」を肌で感じたことが多々ありました。


これは、最近プリスクールであった出来事。今回の記事を読んだときに ふと頭に浮かびました。

最近プリスクールに入ったNちゃん(3歳)は日本生まれですが、両親ともにアメリカ人。家庭内の言語は英語です。

少しびっくりしたのは、Nちゃんのお母さんと初めて言葉を交わしたとき。

こちらの問いかけに対して返事が素っ気ない印象がしたのです。口下手なのか、それとも何か気に障ったのか。少し気になりながらも その時はそのまま別れました。

後日、Nちゃんのお母さんと お当番の日が重なり、色々と話してみてその理由が何となく分かりました。

Nちゃんは、亜麻色のような金髪。目は青緑。

そんなNちゃんのことを、見ず知らずの人が「かわいい」と言って髪に触れたり、写真を撮ったりするのだそう。

そういうことが続いていることに、Nちゃんのお母さんも不快感を抱いているようでした。特別扱いされることで、「外部者」のように扱われているように感じたのかもしれません。

それで、日本人である わたしに対しても 少し構えていたのかもしれません。

プリスクールでは、どんな文化背景(言語背景)の子でも変わらずに接するし、子どもたちもそれが普通。

Nちゃんのお母さんも、特別扱いされない環境に心を許したのか、最近では すっかりリラックスした表情です。


バイリンガル育児で大切にしているのは、「人と違っていてもいい」し、「同じでもいい」ということ。「違うこと」を特別なことだと思って欲しくないな  と。

そして 自分と「異なる」ものに対して、勝手なイメージを付けたり、美化したり、一般化したりして欲しくない。

それを日々の生活で Smileに感じとってほしい。

そのためには、対象となる文化や人のことをSmileが知ることも大切だし、わたしも親として 日々の言動に気を付けなければならないと感じます。

反対に、この先 Smile自身が「他と違う存在」として特別に扱われることも出て来るかもしれません。

そんなときは 柔軟に対応できるような強さを身につけて欲しい、そう思います。

みんな思い思いに笛を工作中。「違っていて当たり前」の空間。