アカデミック・ライティングと型

大学院時代、人生が変わった というほど影響を受けた教授が2人います。

Lordes Ortega氏と、Kate Wolfe-Quintero氏です。2人とも第二言語ライティング(L2 writing)を研究していましたが、一見すると真逆のスタンスを取っていたように感じます。

Ortega氏は、アカデミア(教育研究機関)のルールを守り、その中で円滑に主張を通す術を教えてくれ、

一方、Wolfe-Quintero氏は、縛りを嫌い、文章の中でvoice(自分の声)を表現する術を教えてくれました。Freewritingで知られる Peter Elbow氏の存在を知ったのもこの頃(freewriting手法: 思いのままに止まらずに書き続けること)。


エッセイの型 vs. 自己表現

アカデミック・ライティング(学術的文章)は、アメリカの高等教育機関では、多くの学生が経験するもので、ある決まったルールや型に基づいて文章構成をしていきます。

一番基本的なものが、英検でも使われている Five paragraph essay(5パラグラフ・エッセイ)。

  1. Introduction(導入)
  2. Body 1(本論 1)→ topic sentence(この段落で言いたいこと)→ support→concluding sentence
  3. Body 2(本論2)→ topic sentence → support → concluding sentence
  4. Body 3(本論 3)→ topic sentence → support → concluding sentence
  5. Conclusion(結論)

大学院では、five paragraph essayは書きませんが、この型を応用してエッセイや論文を書いていました。

でも いつも苦しんだのは、型にはめて書こうとすると、どうしても「自分の声」が届かないような気がしてしまうこと。

型があるがために、適切な表現を適切な箇所に使おうとし、結果、自分の文章じゃないように感じてしまう。

そんな苦しみを和らげてくれたのが、Wolfe-Quintero氏の授業。彼女の授業では、いかに自分の言葉を使い文章を書くか、それをどうやって生徒に教えるか、ということを学びました。

フィードバックには、「なんでそう思うの?あなたの言葉で書いて」と書かれたりして、その度にノートにブレインストーミングをして掘り下げて考える作業をしたものです。

アカデミック・ライティングに慣れ始めていた 当時のわたしには とても苦しい作業でした。「型」を盾にして自分の気持ちを隠せないからです。

でも出来上がったエッセイを見直したとき、そこに書かれているのは、紛れもなく  わたしの内なる声であり、型に押し殺されていない自分の言葉でした。

うまく「型」と付き合う

大学院時代、わたしがアカデミアに順応することができたのは「アカデミック・ライティングの型」のお陰です。同時に、型でギチギチになってしまったり、苦しまずに済んだのは、自分なりの自己表現の仕方を見つけられたから。

でも もしかすると、「型」が原因で、英語で書くこと自体を嫌いになっていた可能性も多いにあります。Wolfe-Quintero氏に出会わなかったら、「自己表現の場」を見つけられず、苦しんだままだったかもしれません。

当時のことを振り返ると、「型」も「自己表現の場」も 両方とも なくてはならなかった。

「型通り」に書けば自分が窮屈になってしまう。逆に「枠組みがない」ライティングもまたアカデミアでは受け入れられないからです。

娘がアカデミック・ライティングに触れるのは、だいぶ先のこと。でも、娘もまた、型を知りつつ、同時に自己表現の仕方も知って欲しい。

もし娘がアカデミック・ライティングに触れる機会があったら、

自分の想いを「型」に はめてしまい、書くことが嫌になってしまわないよう、言葉を紡ぎだす楽しさを教えられたら、と思います。

遠足で里芋掘り。このブログも いつか読む日が来るのかな。楽しみ半分、ソワソワする気持ち半分。